益田洋一の音楽四方山話

                           〜感性を培う知性〜 
月1回のペースでレッスンしながら考えた事をテーマに思いついたまま書き込んで行きます。
皆さんのご意見などお寄せいただければ嬉しいです。

第3回「才能を感じる時」

 良く「あの人は才能がある」とか「無い」とか言うことがあります。音楽を始めとする芸術の世界、スポーツの世界では特に用いられる言葉です。では才能があるとはどう言うことでしょうか。
 世に言う天才とは大して努力もしていないのに人並みはずれた力を発揮する、又は素晴らしい結果を導き出せるとか言う事なのでしょうが、確かに世界は広いのでそう言う人も存在したのかもしれません。でもそう言う本当の意味での天才は各競技や各芸術分野の長い歴史の中で一人居るか居ないかでは無いかと私は思います。でも人並みはずれた結果を残したり、神がかりのような演奏や作品を残す人はどの時代にも現れます。

 
私もギターを教えだして35年ぐらい立ちましたから初めてレッスンを受けに来た人でもギターの持ち方を教え、基本的な指の動かし方を教えしているうちにその人の持っている能力は大体推測できます。少し横暴な言い方かもしれませんが?それが殆ど当っていると自信もあるのです。でも確かに当ってはいるのですが段々レッスンの回を重ねるたびに、意外な事に気づく事が多いのです。
 レッスン始めて初期のころは、といっても2,3年ぐらいの間ですが、「この人はきっと相当に弾けるようになりそうだ」とか、それが特に若い世代の人だったら「数年後には全国のコンクールなどを目指させてみようか」と期待に胸を膨らませられる人に時々巡り合います。それは天才とは言えなくても、いわゆる才能を感じるとか、センスが良いとか言う事なのですが、その内の多くの人は思い通りには行きません。それは私の洞察力が劣っているのではなく、もう一つ非常に大切なものが見抜けなかったと言うか、後になって気づかされる事になるからなのです。
 それはどういうことかと言うと、本当の意味での天才はめったに居ないわけですから、多くの功をなす人たちが共通して持っている能力、一つの事をコツコツ続けられる、、言うならば努力できる才能を持ちあわせているかどうかと言うことなのです。
 センスがあるって事は器用にこなせる訳で、それ自体とても大切な事ではあるのですが、そう言う人に限って努力する才能を持ち合わせない場合が意外と多いと私は思います。何でもそこそここなせるのでそれで満足してしまって、ほかの事に目移りしてしまう「器用貧乏」の人が本当に多いように思います。
 それとは逆に当初は「まーある程度いけるかな・・」と思っていた人がある時期を過ぎると目に見えて上達し、その演奏自体に力強さが備わって見違えるようになっていく姿も良く目にします。こういう人は目に見えない部分でコツコツ努力を重ねているのでしょう、、努力する事で眠っていた力が目を覚ましたとでもいえるかもしれません。

 
広島カープの鉄人といわれた衣笠選手は仲間と毎晩のように飲みに行くのですが、いつも12時ぐらいになったら席をはずして1時間ほど姿を消すのだそうです。不思議に思っていたら後日分かった事では、その時間毎日バットの素振りをして、また何食わぬ顔で現れて飲んでいたとか。。王選手の素振りを繰り返した部屋の畳の話とか、巨人軍2軍球場の外野フェンス沿いに出来た桑田選手の走り込みをした通称「桑田ロード」の話とか努力を繰り返した人たちの逸話にはなにかすごいものを感じます。
 
ギター界にも後世に語り継がれるような逸話を持つ演奏家が是非出てきて欲しいものです。







先月は楽譜の冒頭に書いてあるト音記号・ヘ音記号・ハ音記号や拍子記号・調子記号を良く見て曲に入る事が必要だと書きましたが、今月はフレージングについて書きます。左の楽譜の中に2小節に渡って山形の曲線が書いてあるのはわかりますか。これがフレーズで文章に例えると2小節が一つの文(メロディー)ですよと言う事になります。すなわちこの曲では2小節ごとに句読点が付くわけです。このフレージングをしっかりやって、それぞれを比較していくと曲作りの大きなヒントが得られますし。どのようなテンポで弾けば良いか等の答えも得られます。曲を練習するに当って最初に手がけないといけない重要な作業だと思います。



トップページへ戻る
第1回「音楽をやるって」を見る
第2回「人間のやることは皆同じ?」を見る

プチ音楽講座